- 歯科放射線
- 最初期の歯科X線撮影
- 口内撮影法
- 原著論文
- 1947 ロングコーン平行撮影法の確立
- 関連事項
- 口内撮影法の発展に寄与した人々
- 歯科用X線装置
- 原著論文
- 1920 画期的な歯科用X線装置
- 歯科用X線フィルム
- 歯科X線システムのデジタル化
- パノラマ撮影(パントモグラフィー)
- 原著論文
- 1949 パノラマ撮影の初報
- セファロ撮影
- コーンビームCT
- 関連事項
- 日本の歯科放射線の歴史
歯科放射線
最初期の歯科X線撮影
図1. (上) Friedrich Otto Walkhoff(1860–1934)
(下) 1896年1月 Walkhoffが撮影した世界初の自分の歯のX線写真.撮影時間25分.上・下顎歯の一部がうつっている[PD].
図2. 1896年4月,Mortonが学会で供覧した歯のX線写真 .屍体あるいは標本と思われる.左から2番目の歯は補綴されている[2].
図3. Charles Edmund Kells (1865-1928) [3-1]
1896年1月1日のレントゲンによるX線発見の論文が発表されたが,世界初の歯のX線写真は,ドイツの歯科医Friedrich Otto Walkhoff (1860–1934) (図1)がその直後に撮影したもので,正確な撮影日は不明だが1月14日頃とされる[1](図1).Walkhoffは,化学者Fritz Giesel*1の協力を得て,ガラス乾板をラバーダムに包んで自らの口中に挿入し,25分かけて撮影した.同年,Walkhoff と Gieselは世界初の歯科X線撮影施設を開設し,歯科医にX線写真を提供した.
実際の臨床例を初めて撮影したのが誰かという点については不詳である[1].米国ニューヨークの歯科医のWilliam James Morton*2が,1896年4月24日の学会で行った講演の記録があり[2],ここに掲載されている線写真(図2)は屍体あるいは頭蓋標本のものと思われるが,この中でMortonは撮影時のフィルムの固定,嚥下反射を抑制するコカインスプレーの使用などについて言及しており,すでに臨床経験があったものと思われる.ほぼ同時期,ニューオーリンズの歯科医 Charles Edmund Kells (図3)も患者の歯のX線写真を撮影していた.Kellsは後に1986年4月あるいは5月に助手の歯を撮影したと述べており[3],同年7月28~30日の学会*3で症例写真を供覧しているが[4],その写真の記録は残っていない.Kellsは「歯科放射線学の父」とされるが,この他にも電動診察椅子,吸引器,洗浄装置など,現在も使われている様々な歯科器械を発明している.
当時のX線撮影は数十分にもおよぶ曝射が必要で,黎明期の放射線医学者には放射線障害による殉職者が少なくないが,歯科撮影の場合は往々にしてフィルムを手で押さえる必要があることから,特に歯科医には放射線障害が多発した.Kellsもその犠牲者の一人である.そのような中にあって,ボストンの歯科医 William Rollinsは,最初期から放射線防護の重要性を訴え,放射線防護の父とも称される.放射線の遮蔽に配慮したX線装置を提案し,歯科領域にとどまらず 医科領域の臨床研究にも貢献した[5].
*1 Fritz Giesel(1852-1927)は放射化学の創始者,アクチニウムの事実上の発見者として知られ,ラジウムの分別結晶化に際してキュリーらが用いた塩化物にかえて臭化物を利用する方法で効率的に大量のラジウムを得る方法を考案し,研究者にラジウムを安価に提供した.例えば原子核壊変を発見したSoddyもGrieselからラジウムを調達している.WalkhoffはGieselから提供されたラジウムを利用し,自分の腕に貼付してX線と同様に皮膚炎がおこることをはじめて報告し,またマウスの腫瘍に対する治療効果を証明するなど,X線とラジウム放射線に共通する生体作用があることを初めて指摘した[6].Walkhoffは,歯科学領域全般においても,Walkhoff paste (根管充填用ヨードフォルムペースト),Walkhoff reamer(根管掘削器具)の発明,歯学博士制度の創設など多方面に功績を残しているが,ナチズムの強力な支持者であったことから,2000年に創設されたドイツ保存歯科学会の Walkhoff賞は,2019年に DGZ Publication Award に改称された.
*2 1846年に初の全身麻酔の公開実験に成功した歯科医 William Thomas Morton の息子.
*3 Kellsは1896年7月29日, North Carolina州Ashevilleで開催されたSouthern Dental Association第27回年次大会でこれを報告した.この時,Kellsは撮影の実際を供覧するために,会場のホテルに機材一式,暗室設備を準備し,患者まで連れて行った.しかし,電力が夜間しか供給されないため夜を待つ必要があった.夜はホテルで舞踏会があったが,X線撮影のデモがあると聞きつけて,大勢のホテルの宿泊客が会場につめかけ,皆が自分の手や財布を透視することを所望してそれに時間と取られたため,電力が遮断される深夜までに肝心の歯科撮影を行うことはできず,Kellsは持参したX線写真を供覧したという[1,3].
口内撮影法
図4. 口内撮影法 (左)二等分法.歯軸(A) とフィルム(F)の成す角を2等分する線(B)に対してX線束(R)を垂直に照射する.AとFは二等辺三角形の等辺となるため,歯の長さが正確に投影される.(右)平行法.フィルムを歯軸と平行に置き,これに垂直にX線を照射する.フィルムと歯が離れるため,管球ー被写体距離を長くとる必要がある(long distance technique).
二等分法
口腔内に乾板あるいはフィルムを固定して,顔面からX線を照射して撮影する口内撮影法では,狭い口腔内にフィルムを固定して,歯冠から歯根まで鮮明かつ歪みなく撮影する必要があり,通常のX線撮影とは異なる難しさがある.1904年にカナダの歯科医Weston A. Price(図10a)が提案した二等分法(bisecting angle projection)は,歯軸とフィルム面が成す角の二等分線に直交するようにX線を照射する方法で,歯の長さが正確に反映され(等長法),フィルムと歯を密接させやすいことから初期に広く用いられた.しかし実際には正確にこの角度を決定することが難しく,再現性に乏しいという問題がある[7].
平行法とロングコーン法
図5. Fitzgeraldが確立したlong cone technique [10-3].
現在主流となっているのは,歯軸と平行にフィルムを配置する平行法(parallel projection)(図4b)であるが,その成立の経緯はやや複雑である.理屈の上からは最も単純で誰しもが思いつくと思われる方法で,実際のところ前述のEdmund Kellsも当時から,乾板をできるだけ接近させ平行に置くことが重要であるとしている[4].また二等分法の祖Priceも,切歯,犬歯についてはフィルムを歯の平行に置く方が容易であると述べている.しかしフィルムを平行に置く場合,歯肉の弯曲のために歯とフィルムを密接できず,像が拡大して半影によるボケが大きくなる,フィルムの保持が難しい,患者の苦痛が大きい,開口障害や小児では適用しにくいなどの問題がある.1920年,放射線技師のFranklin W. McCormack(図10b)は,正確な診断のためには撮影の標準化が必要であると説く中で,焦点-被写体間距離を長くとること(long distance technique)を提唱し,拡大率の問題を解決し鮮明な画像を撮影する方法を示した.フィルムに到達する軟線成分が減少するため皮膚による散乱線が減少し,被曝も減少する利点もある.実際には切歯で24インチ,臼歯で40インチを推奨している.しかしこの時点ではまだ平行法については言及がない[8].1937年,その息子のDonald McCormackが初めて,平行法の利点を述べ(long distance paralleling technique)[9],1947年,F. W. McCormackの女婿でもある歯科医のGordon M. Fitzgerald(図10c)が,これをさらに発展させ,現在広く行われている標準的な口内撮影法である long cone technique を確立した(図5)[10-1].
図6. Richardsが考案したX線ヘッド.(上)従来の構造.高圧トランス(黄)の前方にX線管(赤)があるためコーンの突出が大きい.(下)Richardsはトランスを左右に分割してX線管を後方に配置することにより,コーンの長さを変えることなく全体のサイズを縮小した[11].
Richards方式
Fitzgeraldのlong coneは20インチで,McCormackが推奨する40インチに比べれば短いが,それでも狭い診察室でこの長さのヘッドの取り回しは不便であった(図5).1965年,ミシガン大学の歯科医Albert G. Richardsは,ヘッド内の管球位置を工夫することによりlong coneの特性を備えたままヘッドを短くする方法を発案した(図6)[11].
X線を照射するヘッド内には,X線管球と変圧トランスが収められている.従来の方法ではトランスがX線束を妨げないようにヘッド前部にX線管,その後方にトランスが置かれていたが,Richardsはトランスを左右に分割し(split-transformer),管球をヘッド後方に移動して焦点-フィルム間距離を保ったままヘッドを短くすることに成功した.これによりヘッドを short cone に匹敵する6~7インチに短縮することができた.さらに,coneの尖端を開放し,線束をその直径より小さく絞ることにより,coneに衝突するX線による散乱線を回避した.これにより実用的な平行法が可能となり,このRichards方式は現在も踏襲されている.
図7.咬翼法.(左)咬翼フィルム.フィルム面に垂直な翼をつけてこれを患者に咬ませて撮影する.(右)咬翼法によるX線写真.歯冠,隣接面の描出に優れる[11].
咬翼法
咬翼法(bitewing method)は,フィルムにフィルム面と直交する翼面を付加した咬翼フィルムを使用して,翼面を患者に咬ませて撮影する方法で,現在でも広く使われている.1925年 Howard Riley Raper(図10d) が発明した(図7).入射角度は平行法に近く,特に歯冠,隣接面齲蝕の描出にすぐれる[12].
Raperは齲歯の予防,根絶に積極的に取り組み,齲歯の診断にX線を積極的に用いることを推奨したが,これに対してKellsはX線診断への過度の依存を批判する立場をとり,歯学誌上で論戦を繰り広げた[13,14].
原著論文
図8.焦点-被写体距離(コーン距離)を20インチに延長すると,フィルムを歯軸と平行に於いても,像の拡大,歪みが最小限に抑えられる.
図9. 焦点-被写体距離20インチ(上段),8インチ(下段),被写体-フィルム間距離0インチ(左),2 1/2インチ(右)で,金属メッシュの標本を撮影して比較した実験.フィルムを遠ざけてもコーン長が長いと画質の劣化が少ない.
【要旨・解説】著者はカリフォルニア大学歯学部教授.1947~50年に書かれた歯科X線撮影の技術に関する4編からなる一連の論文のうち,ここに紹介するのは最初の2編[10-1, 10-2]である*.1920年にFranklin W. McCormackが提唱した焦点-被写体間距離を長くとる long distance technique,1937年 Donald W. McCormack が提唱したフィルムを歯軸と平行に配置する parallel projection を引用し,その有用性を実験によって実証して,この撮影法の有用性をあらためて強調している.
1本目の論文は,X線写真の幾何学的ぼけに影響する要因として,焦点-管球距離,被写体フィルム間距離,焦点の大きさを挙げ,このうち最も重要なことは焦点-管球距離を充分長くとることであるとしている.
これを確認するために,顎骨標本と金属メッシュを用いて,焦点-被写体距離を実用的な最大限値である20インチ,および当時標準的であった7~8インチとして,それぞれについて,被写体-フィルム間距離を0から2.5インチまで段階的に変えて,画像のぼけ,画質を目視的に評価する実験を行った.この結果,焦点-被写体距離を20インチに延長すると,X線束の拡がりによる画像の拡大,歪みを小さくできると同時に(図8),被写体フィルム距離が多少大きくなっても画像のぼけがほとんど増加しないことから,フィルム配置の自由度が向上し,正確な画像を容易に得られることが示された(図9).
このほか,焦点は小さい方がよいこと,また管電圧は幾何学的ぼけや画像の歪みの原因とはならないことも証明している.
2本目の論文は,歯科X線診断の要は,解剖学的に正確な画像,すなわち幾何学的ぼけや歪みのない画像を撮影することが必須であることをあらためて強調し,このためには垂直投影角度(vertical angulation)とフィルム配置(film placement)が重要であると説いている.これを実践するための3つの原則として,(1)フィルムを歯軸と平行とする,(2)歯とフィルムの距離を離す,(3)フィルムホルダーを用いてフィルムを安定させフィルムを変形させないことを挙げている.(2)は,前論文で主張している焦点-管球距離を充分長くとることを前提として,フィルム配置の自由度が向上するため歯軸との平行性を得やすくなるとともに,根尖まで撮影が容易,口腔の大きさなど解剖学的制約を受けにくいなどの利点がある.
この2本の論文は,ロングコーンを使用して,フィルムを歯軸と平行に配置して撮影する現在の標準的な撮影法 long cone paralleling technique の根拠となったという点で歴史的に大きな意義をもつ.
* 第3編[10-3]は前2編で検討した撮影法を上顎臼歯部の撮影に応用したより実践的な撮影法の解説,第4編[10-4]は管電圧(論文Ⅰで幾何学的ぼけとは無関係としているが)の写真濃度,コントラストに及ぼす影響,高圧撮影の重要性について述べたものである.
関連事項
口内撮影法の発展に寄与した人々
図10.初期の歯科放射線学に貢献した人々[1]. (a) Weston A. Price (1870-1948). (b) Franklin W. McCormack (1889-1951). (c) Gordon M. Fitzgerald (1907-81). (d) Howard Riley Raper (1887-79)
Weston A. Price (1870-1948)
カナダ生まれの米国の歯科医.若くして栄養学を学び,特に世界の先住民には齲歯が少ないことから,食事と歯科衛生の関係を説いた.また歯髄の慢性感染がリウマチ疾患など全身疾患の原因となるといういわゆる 病巣感染説 を支持したことでも知られる.歯科放射線史的には,二等分法(bisection of the angle technique)の創始者として良く知られるが,この他にも早期から「X線撮影についてもっとも伎倆を要するのは画像の解釈法である」と述べ,診断法の重要性を指摘し,また自分の指で口内のフィルムを支持するにあたっては,被曝の危険に警鐘をならし,鉛入りゴム手袋の使用を奨めている.
Franklin W. McCormack (1889-1951)
米国の歯科放射線技術者.履歴の詳細は不明であるが,1911年サンフランシスコに米国初のX線検査室を開設した.撮影技術の標準化を唱え,焦点-被写体間距離を長くとる(long distance technique)を提唱して拡大率の問題を解決し鮮明な画像を撮影する方法を示した.この方法は,息子の歯科医Donald McCormackによる平行法(parallel projection)の導入,女婿のGordon M. Fitzgerald の研究を経て,現在の long cone techniqueに至った.なお long distance technique の初報となった1920年の論文[8]は,ミズーリ州歯科学会での発表に基づくものであるが, 歯科医でない著者による初の歯科学会誌上発表として語り継がれている.
Gordon M. Fitzgerald (1907-81)
Fitzgeraldはもともと航空機メーカーの技術者であったが,F. W. McCormackに見込まれてその助手として歯科放射線機器開発に携わるようになり,また私的にはその女婿となった.1932年,McCormackの計らいでカリフォルニア大学歯学部に入学,その後歯科医となった.卒業後,母校で初の歯科放射線学の講座を(1972年の退任まで)担当した.1947~50年に著した4編の論文[10]は,その後の歯科放射線撮影の基礎を確立したものであったが,現在も基本とされる long cone technique もこの中に記載されている.
Howard Riley Raper (1887-1978)
米国の歯科医.1906年にインディアナ歯科大学を卒業,1909年に母校で世界初の歯科放射線学の講座を担当し,1917年までここで教職にあった.早くからX線診療に興味をもち,インディアナ歯科大学は,米国でX線撮影装置を設置した初の歯科大学となった.咬翼法(bitewing method)の発明者として知られる.咬翼フィルム開発にあたって,RaperはまずEastman Kodak社のGeorge Eastmanに相談したが,Eastmanは引退直後であったため,後任のLovejoyを紹介した.当時Lovejoyは歯痛に悩んでおり,通常のX線撮影ではよく見えなかった齲歯が咬翼法で診断できたことから,好意的にフィルム開発を進めたという[1].1913年に著した "Elementary and Dental Radiography" は,英語で書かれた初の歯科放射線の教科書で,その後版を重ねて長く読みつがれた.
歯科用X線装置
図11. 初期の歯科用X線撮影装置.X線管球や高圧ケーブルが剥き出しで,被曝や感電の危険が大きかった [15].
図12. 1923年に発売されたCoolidgeの設計によるVictor CDX.安全で画期的な歯科用X線装置として広く普及した[16]
当初,歯科X線撮影装置は医科用の汎用装置が流用されていたが,1905年にドイツのReiniger-Gebbert und Schall社(後のSiemens社),アメリカのAmerican X-ray Equipment社から,歯科用X線装置が発売された[15].その後も歯科専用装置が次々と登場した.医科用汎用装置との違いは,小型化,照射範囲を小さくしぼる照射円筒(コーン),照射円筒を撮影部位に応じて配置できる可動アームなどの改良であった.しかし,初期の装置はX線管球や高圧ケーブルが剥き出しで,術者も患者も被曝が多く,感電の危険もあった(図11).実際に当時は,X線撮影による感電死事故 も少なくなかった.
1913年にGE社の技術者 William Coolidge が熱陰極真空管,いわゆるCoolidge管を発明し,従来のガス管球の不安定性にまつわる問題が一気に解消され,まず医科用として急速に普及した.1920年,Coolidgeは安全,小型の歯科専用装置を設計した(→原著論文).1923年,Victor X-ray Company* がこれを製品化した Victor CDXは画期的な歯科X線装置として迎えられた(図12).
これは,小型Coolidge管を接地した金属製筐体内に密閉,油浸して収納したのもので,油浸構造は管球冷却の役割に加えて,高圧部を絶縁することにより安全性が格段に高まった.また単巻変圧器の採用により大幅な小型化がはかられ,壁掛け型,ポータブル型として診察室内に容易に設置できるようになった.その後様々な改良が加えられたが,管球をヘッド内に納めたその構造は,現在の歯科用X線装置の基本となった.
* Victor Electric Companyは,1893年にシカゴで電気機器メーカーとして創業,その後静電発電機などX線関連機器を製造販売した.1913年,GE社の技術者Coolidgeが画期的な 熱電子陰極管(Coolidge管) を発明したが,米国内でその製造を一手に担ったのがVictor社であった(当時のGE社のCoolidge管にはMade in Victorの刻印がある管球もある).1916年以降,GE社はVictor社の株式の取得を開始し,1920年に支配権を取得してVictor X-Ray Corporationと改称され,Victor社は実質的にGE社のX線部門となった.この時期,1923年に発売された歯科用X線装置Victor CDXは,X線装置の開発史上画期的な製品とされる.1926年,GE社はVictor社を完全に取得してGE X-Ray Corporation (GE X-Ray)となった(1930年頃から広告などからもVictorの名前は消えて GE X-Rayに統一されている).GE X-Ray社は戦中,戦後に大きく発展したが,1951年に会社組織としては解体されてGE社のX線部門(GE X-Ray Department)となり,1980年代にはGE Medical Systems (GEMS)となりCT,MRIのトップメーカーとして発展,2004年にGE Healthcare と改称されて現在に至る[16-1].
原著論文
図.11 歯科用X線装置の全体像.左のブラケットを壁に固定し,自在アームの先端にX線管と高圧回路を収めたユニットが見える.
図14. 撮影装置の断面図.下半は油を満たした容器で,上部に小型のX線管,下部にトランスが収められている上半部のコーンからX線が照射される.
【要旨・解説】GE社の技術者Coolidgeが,1920年に発明した新しX線発生装置について報告した論文である.1本目の論文は,その技術的概要,仕様を説明し,2本目のものはその応用について述べている.
Coolidgeは1913年に,熱陰極管,いわゆるCoolidge管を発明し,これは従来のガスX線管の不安定性を一気に解決する画期的なX線管であった.ここで紹介している装置は,小型のCoolidge管と高圧トランス回路をひとつの容器中に油浸,密閉したもので(図13,図14),これにより感電の危険を完全に排除できる.また,X線防護も容易で,X線管球の耐衝撃性も向上する.小型軽量であることから,取扱も容易である.この油浸密閉構造は,現在のX線装置でも基本的に踏襲されているものである.
2本目の論文の冒頭では,この装置が主に歯科の口内撮影を目的として開発したものであると述べている.重量は20ポンド(9kg)で,壁のブラケットに自在アームを介して装着し,診察椅子に坐っている患者に自由に接近させることができる.この他の応用として,ポータブルX線撮影装置として,ベッドサイド,手術室での利用も可能であるとしている.またX線を使用する様々な物理実験にも有用であるとして,例としてミリカンの油滴実験などを挙げている.さらに,歯科用にとどまらず一般医科用のやや大型の装置(重量90ポンド)を紹介している.
この設計をもとに1923年にVictor社から発売された Victor CDXは,画期的な歯科X線装置として広く普及し,その後現在に至る歯科X線装置のプロトタイプとなった.
歯科用X線フィルム
図15. Kodak社から1924年に発売された両面乳剤のRadia-tizedフィルム.これにより,実用的な口内撮影が可能となった[19]
最初期のX線写真の感光体は,専ら写真乾板であった.これはガラス板に銀塩物質を塗布したもので,厚みがありかさばるために,口腔内に入れるには難があった.世界初の歯科X線写真を25分間かけて撮影した前述のWalkhoffも,拷問のようだったと後に述懐している.一般写真用のフィルムは1880年代から使われていたが,破れやすい,反り返るなどの理由で,医科用X線撮影には長らく乾板が好まれ,フィルムへの移行は1910年代後半であった.
前述のMorton,Kellsらは一般写真用のロールフィルムを切って使っていた.Priceも1900年に歯科用専用フィルムを考案しているが,いずれも個人的な研究の域を出ることなく,依然として乾板が使われることが多かった.1913年,Eastman Kodak社が初めて歯科用フィルムを発売した.これはフィルムを手作業で防湿パッケージに包装したものであった.1919年,同社から機械製造による歯科用フィルムが発売されたが,片面乳剤のため撮影にはなお8~9秒を要した.1924年に Radia-tized の商品名で発売された両面乳剤フィルム*により撮影時間は半減し,ようやく実用的な口内撮影が可能となった(図15).Eastman Kodak社はその後も長らく歯科用X線フィルムの開発,改良を続け,1940年に発売されたRadia-tized の改良版 Ultraspeed は撮影時間がさらに半減,1955年には1/8になった[17].
1956年に登場したコピー機の原理を応用した ゼロラジオグラフィー (xeroradiography)は,エッジ効果にすぐれ乳腺撮影を中心に一時期応用され,歯科領域でも応用されたが[18],1980年代後半に姿を消したことは医科領域と同様である.
* 医科用の両面乳剤X線フィルムは,これより前の1918年に同社から Dupli-Tized が発売された.
歯科X線システムのデジタル化
図16. (上)RVG(RadioVisioGraphy). CCDカメラで撮影した画像がリアルタイムにCRTモニターに表示される. (下) 患者を診察する発明者のMouyen [21,22]
その後もX線フィルムの改良は続いたが,1982年にフランスの歯科医Francis MouyenがCCDを利用したX線システムを発明,特許を取得し,1987年にTrophy Radiologie社から世界初の歯科用デジタルX線システムRVG (RadioVisioGraphy)として発売された[20](図16).これは,シンチレータの発光を光ファイバーでCCDに導いてCRTモニターに表示する装置で,歯科放射線医学における技術的転換点と位置づけられ,その後各社から多くの製品が発売された.
CCDによるデジタルX線システムは,医科用ではX線透視領域でII-CCD方式として広く普及したが,X線撮影領域では輝尽発光体によるComputed Radiography(CR)が先行し,CCDの活躍の場は限られていた.その点,歯科領域ではCCDシステムがこの時期に広く用いられたことは興味深い点である[21].その理由として,歯科領域は撮影範囲が狭く,高分解能が求められるという点においてCCDの特性に好適であったことが挙げられる.医科用X線撮影,たとえば胸部,腹部撮影では,広範囲を撮影する必要があり,当時のCCDのサイズ,コストでは実用化が困難で,かわってCRが普及したといえる.
1983年,富士写真フィルム社が輝尽発光体プレート(photostimulable phophor plate, PSP)を利用したX線システム Computed Radiology (CR) を開発してX線画像のデジタル化の先鞭をつけ,医科領域で広く普及した.歯科領域では,1994年にフィンランドのSoredex社が発売したDigoraシステムを嚆矢とする.フィンランドは,1960年代から歯科用パントモグラフィーの開発製造の世界的拠点として,歯科領域の新技術開発の基盤があった.この時代も,大規模施設ではCCDが広く使われている一方で,従来のフィルム法と互換性があり既存のX線装置が使えるCRが,特にヨーロッパ,日本を含むアジアの小規模な歯科診療所を中心に急速に普及した.
1990年代後半,医科領域で 平面パネル検出器 (Flat panel display, FPD) が急速に普及し,歯科領域でも広く使われるようになった.当初はパノラマ撮影,セファログラムに導入されたが,2000年代になりコーンビームCT (Cone Beam CT, CBCT)が登場すると,その受光素子として必須の技術となった.
パノラマ撮影 (パントモグラフィー)
歯科領域で広く利用されているパノラマ撮影は,全歯列と顎骨の状態を短時間で一望の下に観察できる,歯科診療に欠くことのできない検査法である.これを発明したのは,フィンランドの歯科医Yrjö Paatero (ユルヨ・パアテロ)である*1.当初は長い弯曲したフィルムを口腔内に挿入し,顔面からX線を回転させながら曝射する方法を考案したが,1949年にフィルムを口腔外に顔面に沿って配置し,後頭部にX線管球を固定して,患者を回転させて撮影する方法を発表した[→原著論文].1950年にヘルシンキ大学で撮影に成功し,この方法をpantomography (panoramic tomographyからの造語)と呼んだ.1950年代初頭から,医療機器メーカーLääkintäsähkö(レーキンタサフコ)社の技術者 Timo Nieminenとの協力の下に研究開発が進められ,さまざまな改良を経て*2,1961年にPalomex社から初の商用機 Orthopantomograph OP1として発売され(図17,図18),各国で改良,商品化が進められ急速に普及した[23,27].
日本でも1971年にモリタ製作所からパネックス(Panex)が,1974年にアサヒレントゲン工業からパノラマックス(Panoramax)が発売された*3. 当初はX線フィルムに撮影されたが,1990年代以降,他の歯科X線装置のと同様にデジタル化が進み,現在ではFPDが広く採用されている.
*1 これ以前にも,同様の試みは存在した.1922年,アメリカの A. F. Zulauf は,口腔内に長いフィルムを置き,上顎,下顎をそれぞれ別々に撮影する方法を考案して特許を取得し,これを panoramic radiography (パノラマX線撮影)と称したが,実用化には至らなかった[24]. 1933年,日本大学歯学部の沼田久次(1902-83)は,口腔内に弯曲したフィルムを配置し,X線管球を患者の周囲に回転させるパノラマ撮影の原理を発表して実験も行っているが,やはり実機の製作には至らなかった[25,26].ちなみ沼田は,島津レントゲン技術講習所でX線技術を学び,当時は東京帝国大学付属病院に勤務しながら日本大学歯科医学校の夜間部に学ぶ学生であった.卒業後は歯科医となり,日本大学医学部(解剖学),慶應義塾大学医学部(組織学)などで教鞭をとり,1947年に博士号を取得,日本歯科放射線学会の設立などに尽力した後,歯科医院を開業した.
*2 Paateroの最初期の方法は,頭部の中心を通る1軸の周囲を回転する方法(concentric pantomography)であったが,その後米国ワシントン大学のNelsenらは,臼歯の描出を改善するために歯列を2つの円弧の複合と考えて2軸を設定する方法(double ecccentric pantomography)を考案して,米国では "Panorex" として広く使用された[43].1961年,Paateroは3軸の方法を考案し,その後これをorthopantomographyと称し[44],その後現在に至る技術の基本となった.
*3 日本大学歯学部の西連寺永康らは,上記の沼田の仕事を知らずに1954年頃から独自にパノラマ撮影の研究を開始し,1958年には日大型Pantomography装置が完成して臨床に供された.製作にあたっては,当時 高橋信次の廻転横断撮影装置 の製作に関与した日本医科レントゲン(株)の協力を得た.このとき,これをパノラマ撮影と呼んだのも西連寺であった.Paateroとも交流があり,Orthopantomographyの名称は西連寺の提案によるものであったという.その後も研究開発が続き,1974年にアサヒレントゲン工業からパノラマックスとして上市された[27,28,42].
原著論文
図19. 歯科用X線装置の全体像.左のブラケットを壁に固定し,自在アームの先端にX線管と高圧回路を収めたユニットが見える.
【要旨・解説】パノラマ撮影(パントモグラフィー)の発明者による初報で,撮影原理が紹介されている.当時既に臨床に供されていたGrossmannの断層撮影原理を応用し,後頭部から入射したX線を,顔面の外部に密接させたフィルム面に投射する.X線管球とフィルムは固定で,患者を回転椅子で回転して撮影する(図19).またこの時,X線をスリットによって上下方向の線状ビームとする工夫が加えられており,この点は現在のCTにもつながる技術である.ここでは,弯曲したフィルムを回転運動する方法,平面フィルムを平行運動する方法が呈示されており,前者の方が簡便なのでこちらを優先するとしており,これはその後現在に至る撮影法の基本となるものである.
著者は,立体的に弯曲した頭蓋を1枚の平面フィルムに描写するこの方法を,地球儀から地図を作ることに例え,これを cranial chart (頭蓋図)と表現している.この論文には,パノラマという表現はまだ登場しないが,1950年にこれをPantomography (panorama-tomographyの意)と称し,ヘルシンキ大学で撮影に成功した[45].
セファロ撮影
図20.セファロ撮影(規格撮影).イヤーロッドを備えたセファロスタットで頭部を固定して撮影する [29]
歯科領域の口外撮影法のひとつに,セファロ 撮影(cephalography) がある.医科における頭部X線撮影に相当するものであるが,矯正歯科の診断,治療に供するため,共通規格による精密な定位が求められる.規格撮影ともいう.1931年にアメリカの歯科医 Birdsall Holly Broadbent (1928-2009)は,頭部を固定するセファロスタット(cephalostat) を設計した(図20).これは外耳孔に挿入するイヤーロッド(ear rods)を基準として頭部を定位するもので,さらに管球-被写体-フィルムの距離を一定として正面像,側面像を撮影することで,撮影の定量性,再現性を確保し,経時的な比較を可能とする方法を考案した[29].
1948年,William B. Downsは,これをもとに規格撮影による頭蓋,顎骨の計測法,分析法を提案し[30],計測値の正常範囲を示し,咬合異常の評価法,治療方針の決定,予後予測との関連などを初めて体系的に論じた.その後も様々なセファロ分析法が考案され,さらにデジタル化に伴い現在ではコンピュータによる自動計測も可能となった.
コーンビームCT (CBCT)
図21.Mozzoらが開発した世界初のCBCT New Tom 90[34]とCT像[32].まだ大型だが,その後小型化が進み,診察室内に設置できるようになった.
通常のCTが扇型のX線束ファンビーム(fan beam)でスキャンするのに対し,コーンビームCT (cone beam CT, CBCT)は文字通り円錐状のX線束でスキャンする.その画像再構成原理は,1984年にFeldkampらによって発表され[31],FDKアルゴリズムとして知られていた.これを実際に歯科用装置として実現したのは,1996年にイタリアの医師Pierluigi Mozzo (1950-),1999年に日本大学歯学部の新井嘉則(1959-)*らで,それぞれ独立に開発された[32,33].
通常のCTとくらべてきわめて小型で,一般の診察室内にも容易に設置することができ,空間分解能が高く,金属アーチファクトの影響を受けにくく,また被曝線量も小さいことから,パノラマ撮影の相補的検査法として急速に普及した.耳鼻科領域でも側頭骨,顎骨などの診断に利用されている(図21).
関連事項
日本の歯科放射線の歴史
わが国におけるX線の歯科応用に関する初の文献は,1897(明治30)年3月の歯科医学叢談誌に掲載されたアメリカの医学雑誌に掲載された症例報告の翻訳「るよんどげんX線ヲ応用シテ欠生歯を発見セシ一例」[35]とされる.著者名は湖柳生となっているが,これは野口英世*の筆名である.
1909(明治42)年には,東京帝国大学歯科の遠藤至六郎(当時満洲鉄道株式会社大連医院歯科医長,後に東京歯科医学専門学校教授)が本邦初の歯科放射線に関する総説「歯科診断上に於けるX線の価値に就て」を発表し,これが本邦初の歯科放射線に関する論文とされる.これは同窓会での講演録であるが,X線の概略とその歯科適応について述べ,20例の自験例も紹介している[36].1912(大正1)年には順天堂医院放射線科の 藤浪剛一 が「歯科に於けるレントゲン学に就きて」を著した[37].これは放射線専門医による初の歯科放射線学の著述で,撮影原理,撮影法,診断法について数式や図も用いて詳細に述べられている.口内法は二等分法で,顎骨,上顎洞の口外撮影法についても書かれている.
図22.照内昇(てらうち のぼる, 1886-1944).日本の歯科放射線学の祖とされる.
日本の歯科放射線学の祖とされる照内昇(てらうち のぼる, 1886-1944)(図22)は,仙台医専中退後,順天堂医院で藤浪剛一の下に学び,1913年に東京歯科医学専門学校(1890年創立,現東京歯科大学)助手となってX線診療に従事した.この時期,順天堂の藤浪は同校に招かれて放射線医学を講じていたが,その内容を照内と共に学内誌「歯科学講義」に連載し,1918年にこれをまとめた「歯科レントゲン学」は 日本初の歯科放射線学の教科書であった.
照内は,その後1919年に同校助教授を経て,1924年に日本大学専門部歯科(1916年東洋歯科医学校として創立,現日本大学歯学部)教授に就任した.これは日本初の歯科放射線学講座であった.照内はここで歯科放射線学の研究,教育に生涯を捧げたが,1933~35年に「臨床歯科」誌に18回にわたって連載した「歯科レントゲン写真診断法」は広く読まれ**,これをさらに整理,拡充して出版された1940年刊「レントゲン歯科学」[38]は照内の歯科放射線学の集大成であった[41].
照内がX線診療を始めた当初は,医科用の汎用X線装置を流用していたが,1920年代になるとドイツ,アメリカから歯科専用X線装置が輸入されるようになった.照内は自作の装置「テルデンタ」を製作しているが[41],1922年に島津製作所から医科,歯科兼用の「ホクト号」が,1928年に歯科専用装置が発売された[39].1932年には東京電気株式会社(後の東芝)から,アメリカの Victor CDX を模倣したCDX型歯科用X線装置が登場した.戦後,1958年に歯科X線撮影が保険適用となるに至って一般歯科医院でもX線装置への関心が高まり,モリタ製作所,吉田製作所,アサヒレントゲン工業など専門メーカーが次々と製品を開発した.これらのメーカーは国内の歯科X線装置の需要の大部分を担うとともに,世界市場でも重要な存在となっている.
照内門下からは,日本独自のパノラマ撮影装置「パノラマックス」を開発した西連寺永康(後に日本大学歯学部長)[42]をはじめ,日本の歯科放射線学会のリーダーが多数輩出した.
* 野口英世(当時は野口清作)は,高山歯科医学院(後の東京歯科大学)の院長血脇守之助の計らいで,1896(明治29)年に同院の学僕(住み込みの助手)として働きながら医学を学び,翌年医術開業試験に合格,同学院で解剖学などを講義している.このため歯科学への関心は高く,この他にも歯科学に関する翻訳,自著が「歯科醫學叢談」「歯科學報」に数多く掲載されている.
** この連載はその後「臨床歯科レントゲン学」としてまとめられ,臨床歯科社から刊行されたが,非売品であったため現存資料は見当たらない[40].
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